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おかげさまで「小弓の庄」開館10周年 2010.01.01.(2201)


 まちづくり拠点施設の第一号として、犬山市羽黒に誕生した「小弓の庄」は、2010年1月で満十周年を迎えた。
 明治40年代に旧・加茂郡銀行羽黒支店として建築され、その後名鉄小牧線(名古屋地下鉄上飯田線)羽黒駅近くの現在地に移築復原された歴史的建造物文化財指定もの。
 1月31日(日曜日)午後一時から記念行事を行なう。
 開館十周年記念式典。復原にご支援いただいた方々を招いて。
 記念講演会:宇野藤雄画伯が「人生感動」を語る。
 地元羽黒に生まれ育ち、志し止まず渡欧し、今ではパリ欧州でその名が知られる 宇野藤雄画伯。
 傘寿を超えるも今なおご壮健で、駅への行き来にはわが家の前を、ひょいひょいと足取りも軽やかな 人懐っこい好々爺(失礼!)。 
 そして、地域密着に熱心ないちい信用金庫さんが音楽部(アンサンブルいちい)で「なつかしのメロディー」で盛り上げてくださる。
 「小弓の庄のあゆみ 開館10周年 記念誌」の冊子の配布、甘酒サービスもあります、ご参加下さい、と呼びかけている。
 取り持ち方としては、甘酒の量と、資料集め・編纂・版下つくりに苦労した記念誌冊子の出来栄えと初版部数の過不足が気がかり。

初雪 (小弓の庄)    2009.12.20. (2149)

 風雪に生き抜いてきた建物には風格がある。
 そのまちの魂が宿っている。
 創建100年になる「小弓の庄」(まちつくり活動拠点施設)
 (旧・加茂郡銀行羽黒支店 復原施設)
 あれこれ講釈は 無用。
 あちこちから 雪化粧を愉しんだ。

 (雪化粧の「小弓の庄」)

 (雪化粧の「小弓の庄」)

[Photo:Takeuchi Nobuyuki]

濃尾平野は海だった     test test test   (0000)

 「養老元年(西暦717年)、濃尾平野は海だった! 」
 「木曽川の河口は犬山だった。」と見える。
 犬山城下から先の犬山扇状地は水の中。
 だが、犬山から木曽川の河口までは45Kmほども先。
 広大な遠浅の海(汽水湖)の波打ち際だったろう。
 鵜沼、内田、木津(こっつ)は湊町といったところか。
 中島(一宮)、枇杷島、津島、長島はまさに「島」。
 地理学者から「古東海湖」と聞いたことがある。
(今、もしも海水面が40m上昇したらこの図に戻る、か)

 この古地図が描かれたのは、
 藤原京から平城京遷都(710)。天武天皇の国史編纂事業がすすみ古事記(710)や日本書紀(720)ができたころ。
  ”鳴くようぐいす平安京”794年の平安遷都よりも前。
 養老年間には、弥生の時代から続く「米」や「弓矢」の献上品(その実、現物の納税品)の舟が往来したことだろう。
 平成24年9月羽黒小学校の旧い教科書や収蔵品展示で発見。
 45年ほど前、だれかが複製した古地図をあらためて見る。

 850年後、織田信長が尾張上四郡・下四郡を統一するが、
 昔は「古東海湖」の水面下だったのだ。
 900年後・・天領木曽の御用林から用材を運び出すのは、
 徳川家康が江戸に幕府を開いてからの話し。
 鵜沼側には中乗りさん、松倉には川並衆だった家系が多く残る。

[脚注] 本図は猿投神社収蔵品が原図で、その流布模写図から引用した。

犬山市羽黒地区「小弓の庄」
犬山市羽黒地区の、まちつくり・むらおこしの地域活動拠点が「小弓の庄」です。
この地方は奈良・平安時代には藤原氏の荘園で「小弓が荘(庄)」と呼ばれた。東に八層の森・入鹿池・尾張富士を仰ぎ、五条川・半の木川の水に恵まれています。弥生の時代から水田稲作文化が育まれ、竹林・里山の恵みも豊かな故郷を、子どもたちにつなぐ思いを綴ります。
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