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天正12年(1584年)3月17日 八幡林の戦い。
あれから432年。 小牧長久手の戦いの前哨戦。
敗走する秀吉軍森長可隊の殿をつとめた豪将、
野呂助左衛門の碑(野呂塚)で、慰霊祭が行われた。
激戦の中、斃れた多くの両軍の戦死者を慰霊し、
激戦地の穢れを祓うべく、ことしも大勢が参加して行われた。
天正10年(1582年)6月2日 織田信長斃れし本能寺の変。
その後 戦国の両雄並び立たず。
羽柴秀吉軍、徳川家康軍。
いずれも
「戦の無い世をつくるため」
「民の暮らしを豊かにする政りごとを行なうため」
を願って、覇権を争った。
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平成28年2月20日(土)10時から野呂塚慰霊祭。
祭主は野呂塚保存会。
野呂塚の所有監理の犬山市からは、山田市長、地元市議も参加。
ことしも江南市般若地区から、野呂ご一統方々も参加。
野呂塚地元町内の皆さま、野呂塚保存会会員も参加した。
なお、四半世紀にわたり祭主を務めた野呂塚保存会も、
高齢化がすすみ、体力を消耗してきたため、降板する。
今後は野呂塚近隣住民の方々を中心に、
引き続き野呂塚をお守りし、
先人の慰霊と 戦場一帯の清めお祓いを執り行われる。
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