ホーム » 地域の情報 (ページ 21)
「地域の情報」カテゴリーアーカイブ
羽黒の桜コンサート 4月6日開催 (2014.04.01.)(2607)
ことしも「羽黒の桜まつり」がやってきた。
五条川サクラ並木のライトアップ・・
期間 3月2日~4月13日(予定)
名鉄小牧線幼川鉄橋から~羽黒橋下流まで
”桜コンサート”が開催されます
主催は犬山お城まつり実行委員会と羽黒コミュニテイ推進協議会
平成26年 4月6日(日曜日)午後1時~午後5時まで
会場は 羽黒子ども未来園と 小弓の庄 です。
∮ 和太鼓&バトン競技 羽黒児童センター
∮ 大正琴演奏
∮ オカリナ演奏 オカリナ ゆう
∮ フルート演奏 フルート四重奏 Mandarion
∮ 南京玉すだれ ほか 小坂久留美 ほか
∮ バンド演奏
当日は、屋台コーナー、綿菓子のお店も出ます
(うどん、みたらしだんご、五平もち、焼そば、・・)
移動児童館、婦人会販売コーナーもあります
犬山消防羽黒第四分団による「煙道体験」もできます
小弓の庄では、喫茶コーナーを用意します
4月6日(日)午後1時30分~
****
五条川 サクラ並木 満開近し (2014.03.31.)(2606)
犬山羽黒 五条川のサクラ並木
満開近し
***
羽黒小学校1、2年生作品展を開催 2013.06.03.(2515)
小弓の庄では 羽黒小学校1、2年生の作品展が開かれます。
平成25年6月8日土曜日から6月30日の日曜日まで。
1年生は”おひさま にこにこ”をテーマに絵を描きました。
この子もあの子も思いを大きく、力強く描いています。
朝のお日さま、昼のお日さま、西に沈むお日さま、・・・
見える形はいろりろ。 色もさまざま、・・・
子たちの”おひさま”はいつも”にこにこ”です。
2年生は”ぼうしを かむって”と、紙製の帽子を作りました。
丸い帽子、山高帽子、三角帽子・・なるほど、これも帽子だよね。
書き添えられた絵柄が、これまた楽しい。
元気な羽黒っ子たちの作品展をぜひご覧ください。
たくましい子たちの作品にことばを掛けてやってください。
淡彩画家:宇野藤雄画伯 「人生感動」 2010.02.03. (2210)
淡彩画家:宇野藤雄画伯。1927年(S/2)犬山市 生まれ82歳。
1948年(S/23)22歳で二科展入選以来、連続23回入選。
のちに淡彩画の研究に取り組み、その道を極める。
京の舞妓・芸妓の世界にも 独創的な芸風をあらわす。
全国各地で画塾を開き、数多くの門弟の育成に力を注ぐ。
その色づかいには画伯独特の世界観がある。
犬山市民文化会館の緞帳・飾り絵を制作し、犬山市文化功労賞を受賞。 平成16年カンヌ展を始め、オーストリア芸術展、モントリオール展など受賞多数。
近くはロシア エルミタージャ美術館から要請を受けて、2009年制作の作品「落城の謡」を2010年6月に送り出す。
平成22年1月31日。「小弓の庄」復原開館10周年記念式典に、おらがまち・郷里の誉れ:宇野藤雄画伯が記念講演された。演題は画伯の生き様そのままに「人生感動」。
地元に生まれ、今なお起居し、毎朝のモーニング珈琲屋の飲み友達も多い。 「えっ、あの宇野さんが!?!」と感嘆の声もあがる。愉しい感動人生のお話しに、会場は興奮のルツボとなる。
こどものころ、画塾に通って絵を教わっていた衆議院議員石田芳弘さんも今日ばかりはタイムスリップして塾生気分。
歩いて数分のご近所に暮らす「あの方」の世界に惹き込まれる。紅葉マークの安全運転で元気に出かける「感動青年」のご健勝を。
[Photo:by N.Takeuchi][Photo:by H.mizuno]
濃尾平野は海だった test test test (0000)
「養老元年(西暦717年)、濃尾平野は海だった! 」
「木曽川の河口は犬山だった。」と見える。
犬山城下から先の犬山扇状地は水の中。
だが、犬山から木曽川の河口までは45Kmほども先。
広大な遠浅の海(汽水湖)の波打ち際だったろう。
鵜沼、内田、木津(こっつ)は湊町といったところか。
中島(一宮)、枇杷島、津島、長島はまさに「島」。
地理学者から「古東海湖」と聞いたことがある。
(今、もしも海水面が40m上昇したらこの図に戻る、か)
この古地図が描かれたのは、
藤原京から平城京遷都(710)。天武天皇の国史編纂事業がすすみ古事記(710)や日本書紀(720)ができたころ。
”鳴くようぐいす平安京”794年の平安遷都よりも前。
養老年間には、弥生の時代から続く「米」や「弓矢」の献上品(その実、現物の納税品)の舟が往来したことだろう。
平成24年9月羽黒小学校の旧い教科書や収蔵品展示で発見。
45年ほど前、だれかが複製した古地図をあらためて見る。
850年後、織田信長が尾張上四郡・下四郡を統一するが、
昔は「古東海湖」の水面下だったのだ。
900年後・・天領木曽の御用林から用材を運び出すのは、
徳川家康が江戸に幕府を開いてからの話し。
鵜沼側には中乗りさん、松倉には川並衆だった家系が多く残る。
[脚注] 本図は猿投神社収蔵品が原図で、その流布模写図から引用した。